ニュージーランドとオーストラリアはコロナのシーズン2を心配すべきか?疾患専門家が語る

オーストラリアとニュージーランドで、コロナ感染者数が増加から転じて減少に向かいだした今、皆の頭の中にあるのは、「シーズン2」が襲って来るかと言うことだ。

この程オーストラリアの感染症専門家の一人は、「シーズン2」を完全に否定しました。

メルボルン大学副学長補佐のシティ・カプール教授(上写真)は今週、オーストラリア健康医学アカデミー主催のコロナ感染症に関するオンラインセミナーを開き、下記のような質疑応答がなされた。

「人々が一番気になるのは、現在のオーストラリア(とニュージーランド)の状況を考えたときに、感染のシーズン2が来ていることを示唆する感染数はどの程度かということだろう。」

オーストラリア国立大学に勤務する公衆衛生医で医学疫学者のカマリニ・ロクゲ准教授は、いち早くそれに応えた。

「このシーズン2という言葉は、スペイン風邪の流行に起因していると思うのだが、その考えには私は異論を持つ。というのもそれは全世界で起きたことだったからだ。」と述べた。

スペイン風邪によるパンデミックは、過去一番のパンデミックと思われているが、こちらは1918~19年の間に全世界中で五千万人を死に至らしめた。

このウイルスは全世界中の人口の約三分の一、五億人の感染者を出した。

四月中旬、シンガポールでは、中国からのコロナウイルス流行が始まって以来、一日の感染者数が最大の数字へと飛び上がった。

以前シンガポールは、コロナウイルス発生時の対応においては、韓国と並ぶ世界的な成功例と考えられていた。

シンガポールで検出された528件の新たな感染者のうち、511件は出稼ぎ労働者で密集した場所でのクラスターだった。

パンデミック専門家であるシンガポール国立大学の感染症プログラムの元責任者であるリチャード・コーカー氏は、「国の移民の人口は把握の許容を超えており、もはや問題視されていない」と語った。

ロクゲ教授は「シンガポールで今起きていることをシーズン2と呼ぶ人々がいることは承知しています」

「シンガポールで起きている現状は、福祉援助も受けられず、食べものを買うお金もなく、二十人が一部屋のホテルに住み、医療機関にもかかれないような人達の間でこれまでコロナ感染と認識されずに広まってきたものが表面化しているのです。これはシーズン2ではなくて、人口数増加の管理がうまく行っていない例だと、私は言いたい。検査を受ける必要がある人々が皆検査を受けられている状況が理想であり、これにより感染が制御されていると判断されるべきなのです。私が数に拘らないのはこういう理由からです。我々が効果的な追跡調査をしているのであれば、検査は素早く実施されます。本当に効果的な監視システムという観点でいえば、私たちは非常に迅速にそこに到達できると思います。」

カプール教授は、こうした伝染症専門家の意見は「重要だ」と述べた。「しっかりした制度や対策能力を考慮すべきときに、数字に焦点を当てるのは、実際は逆効果になりうる」と彼は述べた。

主席医務官補佐のパウル・ケリー教授は、オーストラリアで冬が近づき規制が緩和されるにつれ起きうる、シーズン2のリスクについて記者団から次のように尋ねられた。

「ドイツやシンガポールといった他の国々でも懸念されているのだから我々にも同様のことが言えるのではないのか」

ケリー教授は、シーズン2は「いつでも起きうる」と述べた。「だからこそ、密集、密接、密閉の3条件が首相によって発令され、可能な限り症例数を低い水準に保ち、再発が起きた場合には、迅速に見つけ、接触記録を調べ、隔離し、適切かつ迅速な対応をすることで、起こりうる事象の規模を小さく出来るのです」と述べた。

「つまり、仮にシーズン2が到来した場合、我々はそれを一早く察知し対処することが出来るということです。勿論、ワクチンの開発が常に待ち望まれており、まだ先の話にはなりますが、ワクチンはシーズン2到来の際に完全に感染を防ぎ込めるでしょう。集団免疫はシーズン2の兆候を防ぐための一つの方法だとし、いくつかの国で計画されたし、強制さえされました。しかしこのアプローチはオーストラリアやニュージーランドでは“絶対に”検討されていないでしょう。この方法が有効に機能するには、オーストラリアの人口の約60%、つまり千五百万人が感染する必要があるのです。シーズン2の兆候についてはしばらく話題にあがることを確信しています。ある意味、我々の対策がある程度成功するには犠牲者も必要なのです。なぜならコロナウイルス陽性診断者が少ないため、集団免疫という概念も実際には必要なのです。」

 

【GIU解説】

「集団免疫」というと言葉だけみると恐ろしく感じる方もいらっしゃるかもしれません。

しかし「耐性を獲得する」だけのことであって、概念的には予防注射と同じような理解で良いと考えます。

目線をコロナウイルスから、コロナウイルスが生存するための格闘という立ち位置から見てみます。各ウイルスにはそれぞれ好みの宿主があります。要するにウイルス自身だけでは自立しては生存できない上に宿主への好みもあります。

コロナウイルスはヒトとコウモリに宿る、住む、間借りするのが好みなのです。

そこでコウモリの生存数が減ってくるとコロナウイルスも宿る機会が減るので簡単に住めなくなるとします。

するとコロナウイルスは突然変異して中身は同じだけど見かけを変えた、今回のようなヒト型コロナウイルスになってしまうのです。

上記を繰り返し、もちろん次のコロナウイルスは「新ヒト型コロナウイルス」となってしまい、より洗練された=ヒトはワクチン作りからやり直す=耐性を獲得します。

つまりコロナ危機というのはコロナウイルスに対して万能のいえるワクチンが開発されるまではシーズン2どころかその後もあり得るという見方が強いと考えます。

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